あさが来た|五代才助のモデルは?あさとの関係は史実に忠実なの?

 

NHK朝ドラ『あさが来た』では、いよいよ物語で重要な役回りを演じる五代才助

(後の友厚 キャストはディーン・フジオカ)が登場します。

 

才助は海外の事情にも明るい実業家で、明治維新後に停滞した

大阪の経済の復興にも尽力します

 

また物語では、今井あさ(波瑠)の実業家としての師匠のような存在で、

あさが困難に直面した時など、事あるごとに登場しあさを導きます。

 

才助は超ポジティブで何事にもチャレンジするあさに対して、

好意以上のものを感じ、あさの夫の新次郎(玉木宏)と激突しそうにもなります。

 

そんな五代才助ですが、モデルとなった人物はいるのでしょうか?

またあさとの関係は史実に忠実なのでしょうか?

 

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五代才助のモデルは誰?すごい人だった!

 

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五代才助(友厚)は、まさに本人がモデルです。

 

五代友厚1

(五代友厚)

 

薩摩藩士であった才助は、若い時から英才ぶりを発揮し、後に外交官として活躍する

森有礼や寺島宗則らとともにヨーロッパに派遣されたキャリアを持ちます。

 

その後、薩摩藩の商事を握る重要な務めを担うことになり、幕末には同じ薩摩藩出身の

西郷隆盛大久保利通などとともに倒幕派として活躍します。

 

才助は長州藩の高杉晋作や土佐藩浪人の坂本龍馬とも親しかったことから、

いかに実力者であったことがわかりますね。

 

そんな才助ですが、残念ながら知名度においてはこれらの面々に劣ります。

 

なぜかと言えば、多くの討幕の志士たちが明治維新後に中央政府で活躍しましたが、

才助は明治2年にあっさりと官職を辞しているからです

 

才助が下野したのは、明治維新で大きな打撃を受けた大阪経済の復興のため

盟友の大久保利通が何度も才助の中央政府への復帰を試みますが、

才助はあくまでも大阪を中心に活動します。

 

才助が大阪の経済にいかに貢献したかは書ききれません。

大阪株式取引所や大阪商工会議所、大阪造幣局などの経済活動の軸となる

公的な機関を設立しました。

 

それに留まらず、大阪青銅会社(現住友金属)や大阪商船(現商船三井)、

大阪堺鉄道(現南海鉄道)などの有力会社の設立にも携わり、大阪の経済界を盛り上げます。

 

現在の大阪市立大学にあたる大阪商業講習所を設け、後進の育成にも励みました。

 

そんな才助の努力もあり、明治維新直後の低迷から大阪経済は急激に復興し、

東京に次ぐ経済都市に発展しました。

 

才助は1885年(明治18年)49歳の若さで糖尿病で亡くなりますが、

生涯通じて私利私欲がなく大志のために活動したことから、

多くの人びとがその死を惜しみました。

 

あさとの関係は史実に忠実なの?

 

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才助はあさのモデルとなった広岡浅子よりも13歳年上ですが、

ともに大阪を中心に活動したこともあり、活動時期は重なります。

 

しかし才助と浅子のつながりを示す資料や文献がなく、

ふたりはどのような関係だったかは不明です

 

ですが、浅子も名門加島屋(加野屋のモデル)の当主代理として様々な活躍をしていたことから、

このふたりにまったく接点がなかったというのは考えにくいですね

 

また、才助が明治政府の役人時代に立ち上げようとした貿易会社の頭取のひとりに

加島屋久右衛門(ドラマでは近藤正臣さん演じる正吉のモデル)の名前があること、

 

才助が大阪時代に立ち上げた財界のグループに浅子の夫の広岡信五郎が入っていたこと

などを考えると、詳細は不明ながらそれなりの付き合いがあったと推測できます。

 

史実が不明なので、朝ドラ『あさが来た』で描かれる今井あさと五代才助のエピソードは、

ほぼフィクション・脚色となります。

 

ですが私利私欲なく明治初期の大阪を立て直した「隠れた偉人」である

五代才助の生き方には必ずや感動を覚えると思えます。

 

さらにそんな五代との関わりも、あさに大きな成長をもたらすでしょう。

 

あさは五代との関わりにより、実業家としてだけではなく、人間としても

大きな成長を遂げると思いますから、このあたりも見どころでしょう。

 

「大阪経済の父」とよばれた五代才助と「一代の女傑」と讃えられた

あさとの絡みは楽しみですし、どのように描かれるか期待しちゃいますね♪

 

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